ぼくのわーほり記
さて、さてさてさて。
オーストラリアへのワーホリを機に始めたこのブログではございますが...。
ついに、ワーホリが終わろうとしています!いまこの記事を書いているのはまさに出国の前夜でありまして、荷造りが終わってふう、と一息ついたところです。
いままで20数個の記事を書いてきましたが、振り返ると自分のワーホリについて全然書いていなかったので、今回は僕のこの11カ月間をダイジェストに伝えてみようと思います。
まだまだ学生の間では「結局ワーホリって何すんの?働くの?遊ぶの?」ってなふんわりとしたイメージが多いワーホリなので、僕の体験記を読んで、「楽しそうじゃん。」と思ってくれたら大満足です。「うわー、ワーホリ行きたくなった。」って言ってくれたら泣いて喜びます。
それでは行きませう。
生活力?適当力?適応力?がすんごい身についた。
日本で実家暮らしをしている僕にとっては今回が初体験の一人暮らし(と言ってもシェアハウスだけど。)。机についていればご飯が運ばれてきて、洗濯物は放っぽっておけば翌日綺麗になって畳まれている、そんな極楽浄土のような世界とは一変......。衣食住すべてを自らが満たしていかねばならぬ生活は想像を超えて過酷だった。(大学で一人暮らししている人を心の底から尊敬した。)
しかも問題はそれだけじゃない。
ホームステイの期間が終わり、シェアルームに越してすぐに、あれほど憧れていた海外シェアハウスの日々、テラスハウスを見て醸成された僕のイメージは完全に間違っていたと思いしらされることになる。
日本人とは違う国から来た人と"住む"とは聞くほど華やかなことではなかった....。一緒に遊んでいると魅力的で、かつ刺激的な"文化の違い"は住むという行為を通して牙をむいてくる。
夜中までリビングでパーティをして騒ぎちらす、食器は洗わない、なんてものは朝飯前。冷蔵庫にある人のものを無断で使うし(牛乳が知らぬ間になくなっていたときは鬼切れした。)、1人で酒を飲んで1人で勝手にベランダにゲロ吐く輩までいた。(下の階の洗濯物はゲロまみれ。)
いま僕が一緒に住んでいるフィリピンの人たちは毎晩家族や友達に電話をするのが習慣だから、いつも日付が変わるまで大声で笑い転げている。トイレは便座を桶で流して使うのが『普通』だから、トイレをしようとすると便器はいつもびちょびちょになっている。(こいつらには相当にやられた。)
しかも、向こうは120%悪気がないんだから難しい問題なのである。もしかすると彼らも僕の『普通』に苦労していることがあるのかもしれない。
なーんてこと言っても、一緒に飯食ったりすることだってもちろんある。
日々は予想だにしない出来事の連続だ。入居が決まっていた家のオーナーとの連絡がいきなり途絶えることもあれば、またある時には突然「あと一週間後からここ住めなくなるから。」と言われホームレスになったこともあった。
旅行にいっている間に家のオーナーがほかの人と契約して、帰ってきたら自分のベットがなくなっていた友人もいた。
こういう環境で1年間も生活していたから、あらゆることに気にしなくなった。周りがどんなに騒いでも無心で寝れるようになったし、枕元にゴキブリが這っていても全然だいじょうぶ。
なにより学んだのは自分にとっての『普通』が相手にとっては普通じゃないんだと身をもって知ったことだった。今までだったら「こいつ頭おかしいんじゃねえの?」で済ませていたことが、「あっちではこれが普通なのかもしれない。」と一呼吸置けるようになった。もちろん、それでも許せないことは大声でファッキュー。
現地で働いている日本人に聞いたら、オーストラリア人と取引するときは待ち合わせの時間ちょうどには絶対に行かないんだって。向こうだって来ないから。
これが、こっちで働く場合の『普通』らしい。
それと、不測の事態が起こってもあまり動じなくなった。たとえ突然家がなくなっても、「これが海外かあ。」と知っていれば鼻をほじるくらいの余裕は見せられる。(いくらこっちでもレアなケースだったとは思うけど。)
"GOODAY MATE!"生粋のオージー英語は身につくか?
ワーホリに行っていて一番気になるのが、「実際、英語は話せるようになるの?」ということ。
「英語圏に1年間もいれば、帰るころには英語ぺらっぺらかな。へへへ」という期待は当然してしまう。
しかし、これには自信をもってYesというのは正直難しい。なぜなら、英語がどれだけ話せるようになるか、は、本人がどれほど努力したかに200%懸かっているからだ。
何年間もシドニーに住んでいるのにあんまり英語が話せない日本人に会うことは実際珍しいことではない。というのも南半球の大都市シドニーともなれば、日本人のコミュニティーは既にかなりできているし、毎日ほとんど日本語だけで生活していくことは余裕でできるのだ。
語学学校では日本人とかたまり、日本人と部屋をシェアし、日本食レストランで働く。日本で暮らしている時とさほど変わらない生活を送りことができてしまう。
英語圏に暮らしているのに英語がちっともうまくならない。勉強しているのに話す機会がない。という事態に陥るのは実際に少なくないケースだと思う。
ここがワーホリの穴かな、とこっちにきてから思った。留学を選べばまずこういった事態は100%起きないだろうから。学校へ行けば、授業で英語のやり取りをするし、なにより友達がいる。ワーホリって友達作りに苦労するのよねえ。
でも自分からいろんなところに頭を突っ込めば、英語は想像以上に話せるようになる。語学学校やシェアルームで仲良くなった他国籍の友達と出かけたり、ソーシャルイベントに参加したり、ローカルのお店で働いたり。恋をしたり?。
「めっちゃいろんなとこ顔出してんなあ、」って人はだいたい英語うまかった。
というわけで、英語に関しては非常にグレーだと言わざるを得ない。伸びる人は半端なく伸びるよ。ということにしておきます。
実際、日本でもコツコツ勉強すれば英語は話せるようになると思う。だから、「英語がうまくなりたい。」だけが理由なら、そこらへんの外国人を捕まえたり、近所の英会話に通ったほうが全然お得な気がする。
それでも、街で買い物をしたり、家や仕事を探したり、レストランでお客さんと話したり、カフェで店員さんとくっちゃべったり、はたまた意中の相手をデートに誘ったり。と日常の出来事がすべて英語で繰り広げられるのは日本では絶対に味わうことのできない経験であろう。
期限付きとはいえ「外国で暮らす」ことのできるワーキングホリデーは行かないともったいないなとさえ思う。特に、働き始めると「ちょっとワーホリに。」なんてそうそうできないから、学生のうちが一番いいタイミングじゃないのかな。
また、後述するのだけれど、こっちで出会う日本人ってちょっと変わっていて面白い人が多いから、日本人で固まるってのは悪いことばかりではない。
僕の目標:100人、日本人のオトナと話す。
海外で暮らすことの大きな魅力は「異国の人と出会うこと」だ。
日本とは違った文化、習慣をもつ人と出会い、話し、交流することは、海外生活きっての楽しみといっても過言ではない。特にワーホリのメッカであるオーストラリアやカナダは世界に轟く多文化他民族国家だから、「国際交流したい!!」って思いでワーホリに来ている人がほとんどだと思う。定番の表現で言ったら、「様々な価値観に触れ、自分の視野を広げたい!!」ってやつ。
でも、僕は逆にたくさんの日本人とも出会いたかった。
理由は、自分が大学三年という就活目前という時期に立たされているということもあってか、いろんな人生の選択肢を知っておきたかったからである。
日本だと、大学、バイト先、サークル、インターンではだいたい同じ興味や専門を持つ人が集まりやすい。むしろそれがサークルを楽しくしてくれるわけだし、インターンで切磋琢磨する原動力になるわけだが、一度、そういう世界からぴょんと飛び出してみたかった。
同じ日本人でも、今までの自分とは全く別の世界にいた人と会ってみたかったのだ。しかも日本よりも海外のほうが、世代も職業も違う日本人に会える確率が高い。
僕はこの1年間で(100人いったかわからないけれども、)本当にたくさんの日本人に会えた。
30歳バツ2、キャバクラのお姉様(意外と多くて驚いた)、80か国以上回ってきたバックパッカー、さすらい美容師、妻子持ち40歳で初留学など個性的な面々や、縁があって若手起業家からオフィスでお話を聞かせて頂いたりもした。
日系企業の駐在員さんたちが集まるソフトボールチームにもいれてもらって、毎回飯とお酒をおごってもらった。 駐在員としてシドニー来て、週末ソフトボールしてキャバクラいっている大人たちはすごく幸せそうだった。あと彼らの下ネタはえげつなかった。
いま働いている一風堂では、時折オーストラリアの統括マネージャーや幹部さんたちと飲みに行く機会がある。出張ベースでニューヨークやシンガポールを毎月飛び回っているなんて話は、よだれが出るほどうらやましかった。
たくさんのオトナたちの失敗談もこれからの野望も、本当にしょうもない下ネタも、「あーこんな人生もあるんだなあ。」って知るのはすごくためになる。
就活就活!!とにかく一流企業!と周りに流されて血眼になっていた1年前。こっちに来て、人に会って、こういう人生もあるんだ。と知ることができる時間はいまの僕にすごく必要だった。
本当にお世話になりました。
自分探しならぬ、自分づくり。
個人的にワーホリで一番頭を使うのが時間の使い方。
一年ぼーっとしていても、汗水流して働いていても同じ一年。
しかも僕みたいに学生でワーホリしている身ともなれば、時間が来ればいずれ帰らなければならない。じゃあ、この限られた時間をどう使えば『実りのある』一年になるのか。
これが思っていたより難しい。
「なに、何をすれば『良い』んだ。自分の人生にとってプラスになるんだろう...。ろう...。」
なんて馬鹿真面目に考えれば考えるほど疑問は哲学的になってくるようで、一種の幸福論で頭の中がいっぱいになった。
でもそんな「自分を成長させるために!!」「就活にむけて!!」とかいちいち考えても疲れちゃうから、とにかく、日本でできなかった新しいことに挑戦してみよう。ということにした。
今思うと日本にいると自由な時間ってあるようで意外になかったなと思う。友達、サークル、バイト、大学、で手帳でいつも手帳が氾濫していて、なにか新しいことを始める機会が全然なかった。(というか、そう自分がしていたのだけれど。)
こっちでの生活は逆に時間しかない。友達はいないし(泣)、勉強もしていないし。そこで思いつくもの、ふと目に留まったものを片っ端からトライしてみることにした。
近所にジムを発見すれば週3で通い、公園でヨガをしている団体を見つけたら毎週参加させてもらい、Netflixに契約して映画を100作以上観たり、こういう中途半端な粗ブログをはじめ、写真の編集をかじってみたりもした。
自然豊かなオーストラリアならではのサーフィンに挑戦したり、ブッシュウォークに出かけたり、趣味増やしちゃおうぜキャンペーンをやってみた。
「趣味が多くて、人生を楽しんでいる男はモテる。」という雑誌の記事を見てからその熱はさらに高まった気がする。Bucket Listなんかも作ってみた。
オーストラリアにいる間に趣味はかなり増えて、またやりたいことリストもたまりまくった。おかげさまで全くモテることはなかったけど。
たかが1年だけど、されどの1年でもある。ワーホリは30まで行けるから、それぞれの年齢によってそれにかける思いは違う。本気で海外で生きていこうとしている人もいるし、出稼ぎにきているだけの人もいる。僕は学生の立場からこの1年を経験して、違う立場の人の話をいっぱい聞いて、背伸びして手を伸ばしてイソギンチャクみたいに触れるものすべてを吸収した時間だった。(たとえが下手すぎる。)
日本に帰って、僕の見た目は全然変わらないだろうけれど(ちょっと太った)、僕の目に見える世界は前とすこし変わっている(といいな)と思う。
就活が悪く言われる近頃だから、あえていいところを考えた。
一斉にスーツを着て、気持ち悪い。国葬みたい。
なんでみんな同じ髪型、同じ服にする必要があるのかわからない。
新卒一括採用なんてなんだよwwwおかしくねえか。
海外はみんな通年採用で、転職転職して成り上がっていくのに。
はい、何についてか想像つきますね?
お察しの通り、日本の就活(就職活動)に対しての不満たちです。
毎日汗をかきかき、足を棒のようにして歩き回る就活。
海外の就活(海外にはそもそも就活なんてないのだけれど。)と比べたり、日本の過酷な就職競争に嫌気がさして、ついこぼれる愚痴。「日本っておかしくねえか?」
ちょっとネットで調べると日本の就活オワコンww系の記事がごまんと見つけられます。よっぽど就活ってストレスがたまるんでしょうねえ。(完全に他人事)
YOUTUBEには、就職活動のリアルをアニメーションにしたものまで。
そんな僕も今年の秋から就活に参戦することになるわけでして。
個人的には就活に対して良い感情も悪い感情もなく、そりゃ他と比べればなんでも悪いところは見つかるでしょうよ。まあそれでもグダグダいいながら結局大半の学生が就活の波に飲み込まれていくんだろうな、って感じです。
しかしせっかくやるんだから愚痴を垂らしながらやるよりも楽しみたいじゃない。といういささかかっこいい(と自分で思っている)理由で、日本で就活をするいいところを考えてみることにしました。
新卒一括採用は悪いことばかりじゃない。
まず、『世界にも類を見ない日本独特の雇用慣行』(wikipediaよりhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/新卒一括採用)とも称される日本の一括採用。現在の就活の基本的なこのカタチが、ネットで最も批判を浴びている部分なのであります。
欧米諸国と勝手に比べて、「海外では自分で経験を積んでのし上がっていくのに...!」とおもわず考えてしまうであろうこの形態。
確かに、欧米の会社では個人のスキルが重視され、「じゃあ、君は何ができるの?」から始まる世界。即、戦力になって働けることが条件のため、学生は大学在学中や卒業後にインターンで経験を積んでから社会に足を踏み入れていくのが一般的。
大企業やより高いポジションほどこのスキルの高さが求められるからこそ、欧米圏では経験を重ねながら転職によって高み高みを目指していくことが美徳であるわけです。
一方、日本では就活の際に社会経験の熟達度や特別なスキルはほとんど重要視されず(そもそも相手は大学生なのだから。)、会社は一から人材を育てるのが慣例となっています。スキルも経験も0に等しい、生まれたてホヤホヤの新社会人を立派なビジネスマンに育てることも会社がサポートしてくれるということです。
個人的にこの考え方はすごく好きで、海外では入社時に求められるだろうスキルを、日本では0から2、3年かけて会社で働きながら学ぶことができるのは、おそらく日本特有なんじゃないかと...。
しかも日本では大企業さえ例外なく毎年多くの社会未経験者を採用して、研修制度で社会人としての素養とスキルを養っている。個人的に、将来起業したくても、ずっと海外を放浪していたくても、数年日本の会社で大人の基礎を学ぶことは十分に価値があると思います。
こんなブログよりもっとわかりやすくて、プロフェッショナルな記事を貼っつけときます。(笑)
大学は好きなことを好きなだけ勉強していい。
外国人と話していると、海外には大学の専攻学問=将来という図式があるんだな。とよく思わされます。What's your major?(何を勉強しているの?)と聞かれInternational Relations(国際関係論)と答えると、Non Profitsに興味があるの?とか、国際機関で働きたいの?とほぼ100パーセント返されます。
ドイツやアメリカが有名ですが、海外では専攻が基本的に重要視されます。どんな知識、スキルがあるか、そのフィールドにどれだけ精通しているか。まさに即戦力を求める上で欠かせない条件の一つともいえるんでしょうね。
日本ではどちらかというと専攻より学歴重視の傾向が強く(理系はちょっと違うけど。)、何を勉強していたかはあまり問われないのが実情だと聞きます。日本の会社ではみんな結局0からスタートするので、大学四年間何を勉強していようが就活には特に影響しない場合が多いからでしょう。(もちろん知識として法学やビジネス教養を知っているに越したことはないけれど。)
アメリカ出身のお笑い芸人厚切りジェイソンは、日本の就活に対してこんなコメントをしています。
多くの日本企業の新卒の扱い方が下手くそ。大学で4年も勉強した専門知識と経験を全部捨てって一からやり直させ、適当に仕事を割れ当てる。更にそういうやり方だからあまり価値が搾れ出せないので、低い給料しか払わない。お互いに不幸ダロウ。日本企業に勤める人は大学に行く意味はなんだったっけ?
僕は、これがまさにアメリカから見た日本だろうと思いましたね。
アメリカでは、大学は将来のための専門を極める場としての色彩が強いと言えそうです。
逆に日本では、言ってしまえば、大学で身に付けた知識なんて就職になんの役にも立たないように見える。僕なんか大学で好きな文化人類学や宗教学、アジア研究を勉強してきたけれど、面接で仏教について熱く語って、「なるほどなるほど~。」なんてうなずいてくれる仏な面接官がいるとは思えません。
厚切りジェイソンの主張が正しいのかどうかは置いておいて、しかし、今日はここからいいところを見つける日。さて...。
何を勉強しても会社に入ればみんな同じってことは、つまり、自分の好きなこ好きなだけ勉強してもいいってこと!じゃないかな?
将来総合商社に入りたかったとしても、いま貧困や格差問題にどれほど真剣に勉強してもなんら害はないわけで。将来食品メーカーに行きたくても、キリスト教の凄惨な歴史に熱中していいのだ。4年間好きなことを勉強して、そして会社に入ったら、またその時必要な知識を身に付ければいいんです。
これはすっごい朗報でございます。ゼミの課題をやりながら、「あーこれ、俺の将来に関係あんのかな~。」なんて悩む必要は無くなります。そもそも将来に関係しなくてもいいんです。(もちろん関係しているのならそれは素晴らしいことですよ☺)しかし、いま自分がやっていて楽しいならそれで120パーセントベーリーグッドなんです。
これで心置きなくコーランの勉強ができる~!はーと
どうでしょう。
もちろん比較されれば悪いところが見えるのも当然。しかも欧米リスペクトの日本人からしたらどうしても『日本的な』就活制度に茶々入れたくもなるわけです。
しかし毎日むすっとした顔で就活していても疲れるだけ。考えかたをちょっと変えて、気持ちが少し上向けば就活も楽しくなってくる?
実際に先に就活を始めた同期のなかには、「就活でこんなに自分について考えたこと無かった。就活って楽しい。」って言っている人もいるので、本当感じ方は人それぞれなんでしょう。
でも、これを見て「日本の就活って良いところもあんじゃん!」って気づきになれば本望です。みんな、頑張ろうね。
カナダの"青"に魅せられる。
これは、2016年夏にカナダへ旅行したときのおはなし。(もう1年経つのか..。)
高校からの親友がカナダ・バンクーバーに留学していることもあって、彼女の生活しているシェアハウスに居候させてもらいながら10日ほどの間、日本とは違ったドライで涼しい、ナイスな8月を過ごしました。
すぐに、シーフードはうまい。建物は麗しい。人はみんな優しく温かい。そして快適な気候のこの地に魅了されきった僕でしたが、せっかくカナダに来たんだから日本じゃお目にかかれないであろう大自然というのを拝んでみたくて、死ぬまでには訪れたいと評されるカナディアンロッキーへ足を伸ばすことに。
ロッキーさんのプロフィール
北アメリカを南北に縦断するロッキーさんの総面積は23000㎢。それがどのくらいでかいのかはちょっと説明できないのですが、ここではひとまず、めちゃめちゃでかいってことで理解しておいてください。
国立公園、州立公園が合わせて6つ存在し、そこでは1万年前から残る氷河や、その氷河によって切り取られた山脈、それが解けてできた湖など、まさに息をのむ絶景が果てしなく広がっています。
ずっと東京に住んでいた僕には涙のでるような光景。
だから、ひとえにカナディアンロッキーに行くといっても何通りものルートが存在するのです。今回は最もポピュラーなバンフという街を起点にする観光をしてきました。
地図にするとここら辺です。バンクーバーから飛行機で1時間半ほど。
青?蒼?碧?言葉にできない美しさをもつ湖
現地ではカナディアンロッキーの氷河や氷河湖、滝をめぐるツアーを利用。
カナディアンロッキーといえば氷河が溶けでてできた湖が有名ですが、それはいかほどのものなのか。綺麗な湖とひとえに言ってもいかほどのモノなのか。
性格の良くない僕ですから、懐疑心に懐疑心を重ねるツアー出発前です。
さて、噂の湖がどれほど美しいのか見てみることにしますか。
モレーン・レイク
め...めちゃくちゃきれい.....。
湖は透明感が全くなく、まるで絵の具をそのまま垂らしたような水面を持っていました。いままでまるで見たことのないタイプの湖の思わず言葉を失う僕です。背景の山々も本当に美しく、何時間でも見ていたくなる...。
ペイト・レイク
壮大な景色もさることながら...。またも神秘的な色を見せてくれる湖。
奥の山脈、さらに湖を取り囲む深い森林。友人の赤いトレーナー。これ以上ない最高の光景を目の前にしてテンションが上がりまくっていた僕でした。
一概に青と形容できない美しさをもつ湖に時間を忘れる恍惚を覚えます。
レイク・ルイーズ
もっと近づいたショットだとわかりやすいと思うのですが、水がそもそも濁っている?んです。温泉のように乳白色というか。
ここレイクルイーズは、ビクトリア女王の娘ルイーズ・キャロライン・アルバータ王女の名から来ているらしく、この湖が持つ壮麗さは王族の方々も存分に魅了しているのですね。
なぜ、乳白色の湖ができる?
開いた口がふさがらないほど感動した僕ですが、ではこの乳白色の色はどのように生まれてくるのでしょうか。誰かが毎朝入浴剤でもまいているのでしょうか。
答えは、氷河にあります。
毎年夏になると、太陽によって熱せられた氷が溶け、その溶け出した水が湖にそそいできます。
その水が山脈の上から下に流れ落ち、やがて湖に流れつく、ながいながい旅の途中で、その道となる岩石を少しずつ削っていきます。削られた岩石は水流とともに湖に流れ込み、水中を浮遊します。
それがあの乳白色の原因となるわけでございます。
水流に削られ湖に流れ込んだ無数のごく細かい砂が水中を漂っていることで、乳白色(濁り)が生まれ、その水面が光との光彩で青く照らされることで、写真にあるような青が出来上がるのです。
さらにこのような理由のため、湖にはもう一つ神秘があります。
時間によって、季節によって、透明度が変わるのです。
この透明度というのは、いわゆるどれほどの砂が湖に流れ込むかで決まります。ということは、その流れ込む水の量が少ないほど入り込む砂の量が少なくなり、湖の透明度が増すということです。
時間で言えば、朝あまり太陽が上がっていないときの湖は透明度が高く、午後、雪が溶けだしたときは濁りが強い。
季節で言えば、春、凍結していた湖が姿を現した頃はものすごく透明な湖をしているそうです。
自分が訪れたときは8月だったので、一番濁りが強い時期だそう。
時間とともに姿を変えるカナダの神秘の湖。
皆さんも機会があればぜひ訪れて、この美しさを眼中に収めてくださいな。