シェアハウス生活記
「海外暮らしだったら~、あれもできて~♡これもできて~♡!最高じゃん♡!」
海外で暮らすってやっぱり憧れるもんですよねえ。
僕たち日本人は映画やドラマから海外の文化を大量に摂取しているもんだから、海外の生活をリスペクトしまくり。いつかは狭い日本をでていく!なんて考えがちなもんです。
そんななか、近頃はワーキングホリデーなんかで簡単に1年間 (国によって2年間) 海外で生活できちゃうんですから、素晴らしい世の中になったもんです。
僕もそんな日本人のうちの1人なもんで、ワーキングホリデーを使いリアルタイムでオーストラリアはシドニーに暮らしております。
しかし実際こっちに来てみると、思い描いていた理想はなかなかかなわないのが世の常でありましょう。映画のようにパツキン美女と恋に落ちるなんてことはそうそうないわけです。
そこで、僕がこの8か月間経験してきたリアルなの海外生活を知っていただきたく、この記事を書いているわけであります。
もちろんネガティブなことばかりでなく、良い面も悪い面も含めてつらつらと書いていこうと思います。
今回はその中でも "住" についてお話します。
憧れのシェアハウス?!
ワーキングホリデーでオーストラリアに来るたいていの人が暮らすことになるのが、Flatshare、Roomshareという形態。いわゆるシェアハウスってやつです。日本ではいまだ一般的ではありませんが、オーストラリアではシェアハウス形式で暮らすことはあまり珍しくなく、現地の学生を含め、ワーホリや留学生はほとんどマンションの一室で共同生活をしているようです。年齢層としては稼ぎが少ない学生の世代が中心ですが、40歳でシェアハウスしている人もいてもなんら不思議ではありません。
テラスハウスの影響なのか、僕はかなーりこのシェアハウスに対する期待値が高いものでした。多国籍環境♡、異文化を知れる♡、ルームメイトと恋?♡、などなど、自分で勝手に思い描いた想像は止まることなく無限膨らんでいくもの。
しかし実際暮らしてみると、その生活はもちろん楽しくもありますが、理想とは程遠いもの。お金、ルームメイト、清潔さ、便利さ、妥協の連続なわけであります。
日本の、毎日ママンがご飯を用意してくれて、毎日自分の部屋で快眠し、好きな時に好きなことができる超スイートな環境とは違い、ちょっぴりビターな生活なのです。
良くも悪くも刺激的な毎日です。
安さをとるか、清潔さをとるか。
大都会シドニー。ここで理想通りの部屋を見つけるのは無理といってもいいくらいです。もちろんお金があれば一瞬ですべて解決できるのですが、週に300ドルはかかるであろう家賃であっという間に財布はスッカラカン。
自分の予算を考えて、できるだけ安い家賃と、自分が耐えうる最小限度の清潔さとのバランスをすりあわせていくしかありません。
ロケーションももちろん考慮。なにかと便利なシティーを選ぶか、閑静な住宅街をとるか。
僕が住んでいるのはシティー中心部の駅から徒歩3分、家賃は週130ドルのマンション一室シェア。ジム付きで、13階のバルコニーからはビルの夜景が一望できる、という環境です。
めちゃめちゃいいじゃん!って思うでしょ?まあ、この高待遇には理由がありまして。
まず、これが簡単な部屋の見取り図です。
わかってほしいのが、僕は部屋で寝ていないということ。
これが噂のリビングシェアってやつです。格安な家賃と引き換えに、自分の部屋を与えられず、共同スペースに寝泊まりする形態です。
右下が僕の寝ているところ。
バスルームはいつも異臭が漂い、コバエが飛び回り、キッチンはゴキブリが群れをなす空間に仕上がっております。
食器は全部共用。
しかも10人で一室をシェアしているので、机は汚れ、冷蔵庫はぎゅうぎゅう詰め。
夜になると全員が夕食を作り始めるからキッチンは新宿駅並みの混雑。朝は基本うんこできずに家を出ます。
かるく誇張した気もしますが、だいたいこんなもんです。
リビングでの団らんは時に12時以降まで続くので、リビング生活者はみんなが寝静まらないと眠れない、なんてこともしばしば...。
どうです、まず、この安さの理由がわかっていただけたでしょうか。オウンルームがほしい!と願いつつもお金を考えると難しいものなのです。ドラマで見るような、すべてピッカピカの家なんてそうそうありません。
しかし、そうとわかってしまえばそれまでのこと。
お金をしっかり考えて、それ相応に暮らしていると思えば苦にならないものです。ロマンチックな生活ではないけれど、地に足付けて生きています。
10人いるけど基本バラバラな生活
まず一緒に暮らしている人の内訳をいいますと、日本人2人、フィリピン人4人、台湾人1人、ベトナム人3人です。合計10人。
僕の想像していたシェアハウスだと、朝はコーヒーをつくり、起きてきたルームメイトと一緒にシリアルを食み、Have a nice one!とか言いながら仕事に出かける。夜はルームメイトと食材を分け合いながら一緒にディナーをつくり、出来上がったものをほおばりながら人生について語り合う。そんなロマンチックな生活でございました。毎日英語で会話できちゃう!!
ところがどっこい。実際暮らし始めると、
人と会わない。
10人と暮らしているのがうそのよう。昼間は家に誰もいません。
それもそのはず、全員学校であったり、仕事であったり、それぞれみんな自分の生活を持っているのです。だから家を出る時間も帰る時間もバラバラ。ご飯もそれぞれ作ってそれぞれの時間で食べる。家は食べて寝るだけの場所って感じです。
一緒に暮らしていて、会えば挨拶や世間話はするけれど、過度な干渉はしない。ルームメイトと長話をするのは週に2、3回ほど。
だから恋愛に発展なんてアリエナイ。
夜7時。食事時なのに部屋はガラ―ン。レストラン組はみんな仕事中。
でも最初は寂しいけれど、これ、意外と長く暮らす分には楽でいいんですよね。
慣れてきちゃうとこのくらいの距離感がしっくり来ちゃうくらい。
一緒に住んでいるけど、勉強したり、映画見たり、本を読んだり、一人の時間も欲しいから。そして、話したいときに声をかければそこで会話はできるし。
ときどきだけど、一緒に夕食も食べたり。
後ろのフィリピン人2人は料理がうまくて、たまに作ったものをこうやって恵んでくれる。
ロマンチックとはかけ離れてるけど...このくらいがちょうどいい。って距離感がいつもある。
外国人との生活はいつもいいことばかりではなく...。
暮らしながら異文化交流!日本とはまるで違う文化をもつ人たちと食う寝るをともにするのはなかなか貴重な体験で、エキサイティングな響きがします。
自分とは異なる価値観に出会い、視野を広げる。なんて口にしちゃえばかっこよさげなこといくらでもいえるわけですが、実際にそれを体験するとすべてがいいことばかりではなく。
ヨーロピアン系と暮らすと、毎日ホームパーティーが当たり前。深夜まで騒ぎ倒し飲み明かしで、基本夜熟睡できない日本人に大勢あったことがあります。最初の1週間ほどは一緒になって飲めるけど、それ以降くらいからだんだん苦痛になるらしい...。
めちゃめちゃフレンドリーだけど基本マリファナ吸ってるブラジリアンと一緒になり、部屋がマリファナ臭くて2週間で引っ越したり...。
自分の今暮らしているところもそうです。フィリピン人は毎日のように家族や友達とテレビ電話。陽気であんまり周りを気にしないから深夜まで笑い話しているときも..。
などなど、文化の違いって時にかなりイライラさせられることもあるものです。
すべてが言われているほどいいものではないのです。
しかし、それはただ、違う。という話。良い、悪い、と決めつけるのは愚かな考えです。日本人からしたら信じられないし、なんで?は?みたいなこともしょっちゅうですが、これもまた一興と思える心が大切ですね。だからこそ、海外にいると日本人としてのアイデンティティがものすごく強くなります。
それでいて、やはり良い面ももちろんあります。フィリピン人の家族大事な習慣は見ていて大事だなって思うし、ブラジリアンのただただ陽気でいいやつっぷりには驚かされます。
時に学び、時に、あーやっぱ僕日本人だわー。って思うのがこの生活ならでは。
けっしていいことばかりではない、シェアハウス生活。
これからワーホリに行く人がこれを見て、過度な夢をそぎ落としておいてもらえたら幸いです(笑)でもなんだかんだ楽しいですよ、この生活。
世界一のマクドナルドを探す旅③
このシリーズも第三弾まで行きました。
今回で12か国までが出そろうわけですが、世界196か国の中から一位を決めるまでにはこの命が足りるかどうか....。
さっそく行ってみましょう。今回のトップバッターは東南アジアから!
9か国目 / VIETNAM
このブログでもたびたび取り上げている、僕の大好きな国ベトナム。
モーターバイクが駆け巡る街ホーチミンのマックにお邪魔しました。
McROYALと、なかなか食欲をそそる名のサンドウィッチを注文。
写真を見て気づいた方もおいででしょうが、しかし、日本のクウォーターパウンダーと全く同じ商品でございました。ワクワク、ドキドキと期待していただけに失望感は大きい。これはよくな~い。
そして商品クオリティにびっくり。大通りに面した店舗にも関わらず、肉はぱさぱさとしなびていて(キープ時間を過ぎた肉)、ポテトも生ぬるい(7分のキープタイムぎりぎり)、コーラも色だけでほぼ炭酸の味(おそらくシロップ切れ)でした。
大幅に減点されます、ベトナム。
あまりのひどさに逆に驚いたくらいですが、ここは深呼吸。この店舗だけだった。と願います。まだこの国に多大な期待を持っています。
10か国目 / RUSSIA
超大国ロシアからお届けします。
ロシアを訪れたのは三月も後半。しかしながら吐く息が凍り付くほどの寒さと吹雪で長時間外で過ごすのは不可能。暖房の効いた天国のようなマックで3時間ほど過ごしたのでした。
さて店内はといえば、広く、清潔な印象。タッチパネルで注文できるシステムはここロシアでも導入されているようで、あの絵文字のようなキリル文字が読めなくとも簡単にオーダーをすることができます。
日本にももっと普及すればいいのになあ、日本語難しいだろうし。と髪の毛の凍った頭で考えながら待つこと3分弱。愛想のいいロシアお姉さんから商品を受け取ります。うむ。ここまでの流れは素晴らしく良い。
肝心のサンドウィッチですが、見てください。
チキンカレーバーガー(奥)とカントリーバーガー(手前)です。名前の珍しさにふと手を伸ばした商品ですが、なんともおいしそう。それでは、いただきます。
まず、カントリーバーガーですが、マフィンのようなバンズに、こんがり仕込んだオニオンソースがポークパティと絡んだ優しい味。今は亡き名作マックポークを思い出す味です。
チキンカレーバーガー。カレー系といえばインドを思い出しますが、こちらもまた絶品。まろやかなカレーソースにチキンがまたよく合います。そしてこのカレー風味ってなんとなく体の温まる感じがするものです。まさにロシアには欠かせない一品です。
サービス、クオリティ、商品のユニークさどれをとっても大変良し。素晴らしい店舗体験になりました。
11か国目 / BEIJING
中国の首都は北京より。
三月の北京は大気汚染の影が全くなく、澄んだ街並みが広がっていました。
以前中国は上海をレポートしたのですが思いのほかパッとしなかったので再トライ。
最大級の目抜き通り王府井のちょうど真ん中あたりに位置するマックへお邪魔してきました。写真を見ていただけおしょればわかるのですが、商品クオリティ高いです。
こちらもタッチパネルで注文するだけなので、言語に自身がない人でも安心。ただの効率化だけでなく、こういう意味での気配りになるんだな、このマシンと感心。
にぎわう店内を横目に見ながらMcChickenセットを購入。なんとこれ合計で400円もしないくらい。思わず「安っ」と漏らしてしまうほど。
受け取りカウンターで商品を待っていると、なんとなくしていた悪い予感が的中。
(番号がすべて中国語で呼ばれている...!) そわそわしていると、何度も呼ばれているのにいっこうに誰も取りに来ないセットがあるのを発見。慌ててもらいに行きます。サンキューというと、素敵な笑顔をお返ししてくれます。接客〇。
さて、お食事タイム。
ポテト、サンドウィッチはアツアツ、出来立てを上々にキープしています。文句の付けどころなし。
王府井を眺めるカウンター席の立地もよく、非常によい体験です。北京
12か国目 / USA
どどどーん。
ついにやってきました。マクドナルドの母国、アメリカ。
ニューヨークからArtisan Grilled Chickenバーガーです。あーてぃさん(?)という単語にいまいちピンときませんが、日本にはないグリルチキンに惹かれました。
値段はセットで10ドル程。割と高いな...。
しかしアメリカのマクドナルドの何が驚きかと言うと、いくつかの商品が馬鹿安いということであります。ナゲット20ピースが5ドルだったり、7ドルでサンドイッチ2つのセットが買えたり、全ての商品とはいきませんが、時々びっくりするものがあります。
しかも店舗によってはドリンク飲み放題(実際自分は一杯で十分ですが..。)。 ホームレスは安いマクドナルドでしか買い物できないため、アメリカのホームレスは太ってる人が多い、と小耳に挟みました。
さて、愛想のよいラテン系の店員にお金を払い、番号札を貰います。
接客はまあ、よし、かな。
2分も経たずに商品が来ました。サービスタイムはgreatです。
ちょうどうまいタイミングでポテトを揚げていたのでしょう。ポテトはアツアツホクホクのゴールデンクオリティで提供されました。これはポイントUP。
グリルチキンはバンズからこだわってますね。見た目から凝ってます。味も美味しい!ただソースの効きが少し弱いな...!
やっぱりチキンは日本のチキンフィレオが1番なんですよねえ...。どの国にもチキンクリスプの様な薄いチキンのサンドイッチはあるんだけれど、チキンフィレオのような肉厚ジューシーなものはないんだよなあ。
と思っている内に完食!
評価は上々ですが、あーてぃさんバーガーが少し期待ハズレだったので北京に惜敗...!あくまで惜敗!
いつまでも 「無宗教です。」って答えたくなくて
4月も中頃。東京では数日前に桜が満開を迎えたようで、Instagramではタイムラインが連日お花見投稿で溢れていましたね。あー日本帰りたい。
お国が変わって、シドニーではイースター祭が近づいて来ています。
スーパーマーケットでは卵の形をしたチョコレートがこぞって売られおり、ご近所にはHappy Easterの旗を掲げているお家もあります。
さて、イースター祭と聞いても、キリストの復活祭?だっけ?くらいの知識しかなく。
ただバイトが休みになるという嬉しさばかりがこみ上げる週末になりそうですが。
そーいえば日本にはこういうお祭りないよなあ。
とふと考えてみたり。
宗教に関したもの、といえば日本人が海外から質問されて困る質問なんですね。
日本人は何を信じているの??
という純粋な質問にうまく答えられないんです。
「あー、何も信じてないよー。」
と答えていた時期もあったんですが、無宗教というとそれもまた違う気もして。
(海外みたいになにか信仰を持っているわけではないんだけど、それでも神はいると思うし...。無宗教では無いんだろうな..。)
という漠然とした思いは英語力の壁で伝えられず(お恥ずかしい)。
しかし、日本人としてこの手の質問にビシッとかっこよく答えたいものです。
まず、日本人は宗教と無関係なのか。
答えは明らかにNOです。
日本には現在数多くの宗教団体が存在していますし、歴史的に見ても宗教勢力は常にその力を世に示していましたもん。
平等院鳳凰堂、比叡山...。ふと頭に浮かんだ日本の遺産を見ても、それが宗教と密接に関わっていたのは明白。(と、高校日本史で習った記憶があります。)
明治維新や特に戦後の改革により、目に見える宗教儀礼は殆ど失われてしまいましたが、宗教観はしっかりとまだ私たち日本人の精神に残っているはずです。
例えば、お寺や神社、教会など神が宿る場所、神聖な場所と言われるものに足を踏み入れた時、私達は誰に言われるまでもなく声のトーンを落としますよね?
帽子被ってていいんだっけ...?
写真撮ってもいいのかな...。
なんて考えたりもしたり。
東京/明治神宮
ここで明らかなのが、日本人は決して宗教観に欠けているわけでは無いということ。僕たちは、そこにはなにか超人的な力が存在していることをしっかりと感じているわけです。
僕たちは『宗教』と聞いて何を思い浮かべるでしょう。
真っ先に浮かぶ例として、キリスト教とイスラム教がありますね。
それらが、僕たち日本人にとって特異に感じるのは、絶対的な神の存在と、宗教による生活規定です。
キリスト教、イスラム教共に唯一神(ヤハウェさんとアッラーさん)を持ち、それらを信仰する人々は特有の生活規定を持っています。
一部のキリスト教徒は結婚まで処女を守る。イスラム教徒は豚を食べない。などがそれにあたります。
この部分が日本人にとって『宗教』という概念に対し、ある種の特殊さを感じさせる原因でしょう。
多くの日本人にとって、一定の期間断食をしたり毎週日曜日に教会へ行ったりなど、考えられないことですからね。
まとめてしまうと、
『宗教』ってなんか特殊なものの気がするんです。
イスタンブール/ブルーモスク
しかし、日本にもしっかり神と生活規定が存在!
まず、日本国家神道で神はと言えば八百万の神として有名な彼ら。
日本を造った神がいれば、神々を造った神さえもいる。雨や風の神まで、考えられるもの全てに神が宿っているのです。
これは日本に四季があり、昔から気候の変化が絶えなかったことに由来します。
台風が来て、熱波に襲われ、雪に降られ。更には地震まで起こったら、自ずと人間は超人的な力に影響されていると思うより仕方ありません。
同じ様な気候を持つ国々では、自然発生的にアニミズム(全ての事象に神が宿る)信仰が広がるのかもしれません。カンボジアなどでもそうです。
なので私達の神に対する考えは非常に柔軟というか適当というか、野球の神様や受験の神様にいたるまで、ありとあらゆるものに勝手に(?)神を創り出してしまいます。
このせいで、キリスト教やイスラム教の唯一神という圧倒的な存在と比べた時に、私達にはそういう考えがないから、『宗教』がなんとなく遠い存在に感じるのです。
デリー/バングラサーヒブ寺院
生活規定にしても似たようなもの。
私達は仏教や儒教を海外(特に中国)から積極的に取り込むことで、これらの思想を脈々と日本に取り込んで行きました。
「そんな事してるとバチが当たるよ!」
と母親に口うるさく言われるのも、仏教の縁(全てのものは因果関係で結ばれている)から来たものですし、
日本の仕事観、学問における試験の重要さ、年上に敬意を払う、などといったものは儒教からもたらされたものでしょう。
和をもって尊しと...も中国よりもたらされた考えを日本風にアレンジして世に出されたものです。
そう考えると中国、韓国、日本は似た文化体質を持っていますよね。
韓国の就活と受験戦争は日本よりも遥かに過酷ですが...。
僕は、これらも広義に生活規定だと思っています。
ただ、(何度も言いますが、)キリスト教、イスラム教のそれと比べた時、私たちのものは特異さに欠けるので、これが特別なものだとは思えないんです。
といっても、海外からみたら私たちの敬語文化や勤労習慣は十二分に珍しいものでしょうけどね。
じゃあ改めて、私達の宗教とは?
個人的には、日本の宗教は僕たちの生活に浸透しすぎているため、もはや『宗教』として考えられなくなっているのだと思います。
ある意味、キリスト、イスラム教などの『宗教』からは次元を異にしたものであるということです。
僕たちが普段何気なくこなしている生活スタイルそのものが、宗教にとって形づくられたものなのです。
宗教をある共通の思想を持った人間の集団と考えるとするならば、それは『特別』な慣例を持つものに限らないのです。それは国としての範疇からさらに縮小し、自分の所属する部活、サークル、家庭にもなり得るんです。
確かにキリスト教やイスラム教と比べ日本の宗教には特異さがあまりありませんが、1億人を超える日本人が持つ思想 (思想というと少し大袈裟ですが、)は極めて普遍的なものであり、その点で宗教とも呼べるものなのではないかと思います。
ただ(、何度も言いますが)、日本人にとってはどうしても『宗教』はなんとなく特別な響きがするので、外から日本の宗教について聞かれると言葉詰まってしまうわけです。
日本人は日本の宗教を『宗教』だと思っていないのですから。
あと、この宗教は神道、仏教、儒教その他多くの思想を混合させたもので固有名詞を持たないことも、説明しにくい理由の1つでしょうね。
しかしこれは、あらゆる事象に神の存在を認める神道の考えだからこそ実現した体系でしょうね。海外だと別々の宗教が相入れることはなく、常にバチバチしていますから。
そういう意味で日本の宗教は、世界でも類を見ない寛容な宗教だとも言えるのでしょう。
ただ顕在化しにくいだけで、僕たちも宗教と共に生きているんです。
これからは
「僕には何の『宗教』もないな〜。」
ではなく、
「僕の生活にはひろーく、ふかーく宗教が染み込んでいるんだよ。」
と、胸を張って答えるようにします。
どうでしょう?共感していただけましたかね。
文中の『宗教』と宗教、この間にある2つの意味の違いをくみ取っていただければ幸いです。