わくわくさんのにっき

おかねもじかんもあるおとなになる

ニュージーランド『星の降る村』へ。

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地平線、山の裾まで拡がる星空......。

360°のパノラマで臨む頭上の星空はまるで降ってくるように感じられるほど...。

 

そう、行ってきました!ニュージーランドのテカポ村。

最近ドキュメンタリーやなんやで有名になってきている、世界初の"星空世界遺産"を目指すニュージーランドの南島にある小さな小さな村です。

 

オーストラリアワーホリの帰り、「絶対に行ってきなさい。」というオカンの言葉に背中を押され、極寒-6℃の世界へ飛び込んでまいりました。今回はこの寒空の中4時間かけて撮った星空の写真をひたすら見せびらかしたいと思います。

 

 

まず、テカポ村の紹介からしましょう。

ニュージーランド南島のちょうど真ん中あたりにあるテカポ村。

テカポ湖を中心に周囲を山に囲まれ、晴天率が高いことからスターゲイジングにぴったりの場所となっているわけです。村でも生活の灯りを必要最小限にするなどして、星空の景観を保っているのだとか。意気込みが違いますね。

 

気候や地理的にオーロラの発生する条件は揃っているらしく、運が良ければ満点の星空と共に揺れる光のカーテンか拝めるかもしれません。

 

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山上ってちょっと背伸びをすれば南極がのぞけちゃうくらい近い場所にあります。(んなわけねえだろって。)

 

有名都市のクライストチャーチクイーンズタウンから車で行くのが一般的で、だいたいどちらからでも3、4時間ほどでつきます。僕も今回クライストチャーチテカポクイーンズタウンという王道ルートでニュージーランドを観光しました。

 

さてテカポということで、観光地としてどれほどアミューズメントがあるのかというと......まーーーーーったくないのです。見るものが。

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景色はため息が漏れるほどきれいなわけなんですが、とにかく娯楽がない。

中心部?も大きめのサービスエリア程度の設備しかなく、スーパーマーケット、カフェ、バーが何軒か軒を連ねているだけです。しかもWifiがほとんど30分制限....!!(ただでさえすることないのに....。)

 

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写真スポットの「善き羊飼いの教会」もそこから歩いて10分ほど。

........2時間で観光が終わってしまった.....!コーヒーもさっき飲んだばかりなのでおなかはタプタプ。夜まで景色でも眺めていようか。

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景色は本当にきれいなんだよなあ。ただ、2日でいいかなあ。夏だとトレッキングとかもできてまた違うんだろうけど。

 

 

待ちに待った夜が....!

20時くらいまでゲストハウスで時間をつぶし、いざ、この旅行最大の目的をこの目で見に行きます....!

ヒートテック、トレーナー、パーカー、パーカー、フリースの五枚重ねで防寒はバッチリ。相棒Nikonちゃんを携えて外にでます。吐く息が白い。

 

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ぐわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああまのがわああああああああああああああああああああああああああああ!!

 

こんなにくっきりと空に横たわった天の川は初めてです。

 

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星が降るとは本当にうまくいったものです。空には無数の星がこれでもかってくらいちりばめられていて、あまりの数に、脳が事態を理解するのに時間がかかります。この景色を形容する言葉がない。隣に立っていたオージーにひたすらアメージングアメージングと話しかけていた僕でありました。

 

しかも、写真を撮っている間空を見上げると、流れ星がびゅんびゅんと落ちているのです。ひとつ、またひとつと間髪いれずに光って消えていくので、流れ星のありがたさを忘れてしまいそうになるくらいです。願い事が無限に叶う一夜です。

 

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それにしてもこれほどくっきりした天の川はいつまで観ていても飽きないものです。

こんなに素敵な星空をたった一人で観ているのはいささか寂しいものでしたが...。

 

 

 

どうでしたでしょうか。写真だと画像が粗くなってしまっていますが、肉眼で見るこの空は誰もがきっと言葉を失うでしょう。ニュージーランドを訪れるときは、ぜひテカポ村を検討リストに入れることをお勧めします。

 

あと、できれば友達や恋人といくといいです。ロマンチックだから、というのももちろんですが、話し相手がいないと多少の暇地獄を味わうことになります。

ぼくのわーほり記

さて、さてさてさて。

 

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オーストラリアへのワーホリを機に始めたこのブログではございますが...。

ついに、ワーホリが終わろうとしています!いまこの記事を書いているのはまさに出国の前夜でありまして、荷造りが終わってふう、と一息ついたところです。

 

 

いままで20数個の記事を書いてきましたが、振り返ると自分のワーホリについて全然書いていなかったので、今回は僕のこの11カ月間をダイジェストに伝えてみようと思います。

 

まだまだ学生の間では「結局ワーホリって何すんの?働くの?遊ぶの?」ってなふんわりとしたイメージが多いワーホリなので、僕の体験記を読んで、「楽しそうじゃん。」と思ってくれたら大満足です。「うわー、ワーホリ行きたくなった。」って言ってくれたら泣いて喜びます。

 

それでは行きませう。

 

 

 

生活力?適当力?適応力?がすんごい身についた。

日本で実家暮らしをしている僕にとっては今回が初体験の一人暮らし(と言ってもシェアハウスだけど。)。机についていればご飯が運ばれてきて、洗濯物は放っぽっておけば翌日綺麗になって畳まれている、そんな極楽浄土のような世界とは一変......。衣食住すべてを自らが満たしていかねばならぬ生活は想像を超えて過酷だった。(大学で一人暮らししている人を心の底から尊敬した。)

 

しかも問題はそれだけじゃない。

 

ホームステイの期間が終わり、シェアルームに越してすぐに、あれほど憧れていた海外シェアハウスの日々、テラスハウスを見て醸成された僕のイメージは完全に間違っていたと思いしらされることになる。

 

日本人とは違う国から来た人と"住む"とは聞くほど華やかなことではなかった....。一緒に遊んでいると魅力的で、かつ刺激的な"文化の違い"住むという行為を通して牙をむいてくる。

 

夜中までリビングでパーティをして騒ぎちらす、食器は洗わない、なんてものは朝飯前。冷蔵庫にある人のものを無断で使うし(牛乳が知らぬ間になくなっていたときは鬼切れした。)、1人で酒を飲んで1人で勝手にベランダにゲロ吐く輩までいた。(下の階の洗濯物はゲロまみれ。)

 

いま僕が一緒に住んでいるフィリピンの人たちは毎晩家族や友達に電話をするのが習慣だから、いつも日付が変わるまで大声で笑い転げている。トイレは便座を桶で流して使うのが『普通』だから、トイレをしようとすると便器はいつもびちょびちょになっている。(こいつらには相当にやられた。)

 

しかも、向こうは120%悪気がないんだから難しい問題なのである。もしかすると彼らも僕の『普通』に苦労していることがあるのかもしれない。

 

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なーんてこと言っても、一緒に飯食ったりすることだってもちろんある。

 

日々は予想だにしない出来事の連続だ。入居が決まっていた家のオーナーとの連絡がいきなり途絶えることもあれば、またある時には突然「あと一週間後からここ住めなくなるから。」と言われホームレスになったこともあった。

 

旅行にいっている間に家のオーナーがほかの人と契約して、帰ってきたら自分のベットがなくなっていた友人もいた。

 

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こういう環境で1年間も生活していたから、あらゆることに気にしなくなった。周りがどんなに騒いでも無心で寝れるようになったし、枕元にゴキブリが這っていても全然だいじょうぶ。

 

なにより学んだのは自分にとっての『普通』が相手にとっては普通じゃないんだと身をもって知ったことだった。今までだったら「こいつ頭おかしいんじゃねえの?」で済ませていたことが、「あっちではこれが普通なのかもしれない。」と一呼吸置けるようになった。もちろん、それでも許せないことは大声でファッキュー。

 

現地で働いている日本人に聞いたら、オーストラリア人と取引するときは待ち合わせの時間ちょうどには絶対に行かないんだって。向こうだって来ないから。

これが、こっちで働く場合の『普通』らしい。

 

それと、不測の事態が起こってもあまり動じなくなった。たとえ突然家がなくなっても、「これが海外かあ。」と知っていれば鼻をほじるくらいの余裕は見せられる。(いくらこっちでもレアなケースだったとは思うけど。)

 

"GOODAY MATE!"生粋のオージー英語は身につくか?

ワーホリに行っていて一番気になるのが、「実際、英語は話せるようになるの?」ということ。

英語圏に1年間もいれば、帰るころには英語ぺらっぺらかな。へへへ」という期待は当然してしまう。

 

しかし、これには自信をもってYesというのは正直難しい。なぜなら、英語がどれだけ話せるようになるか、は、本人がどれほど努力したかに200%懸かっているからだ。

 

何年間もシドニーに住んでいるのにあんまり英語が話せない日本人に会うことは実際珍しいことではない。というのも南半球の大都市シドニーともなれば、日本人のコミュニティーは既にかなりできているし、毎日ほとんど日本語だけで生活していくことは余裕でできるのだ。

 

語学学校では日本人とかたまり、日本人と部屋をシェアし、日本食レストランで働く。日本で暮らしている時とさほど変わらない生活を送りことができてしまう。

英語圏に暮らしているのに英語がちっともうまくならない。勉強しているのに話す機会がない。という事態に陥るのは実際に少なくないケースだと思う。

 

ここがワーホリの穴かな、とこっちにきてから思った。留学を選べばまずこういった事態は100%起きないだろうから。学校へ行けば、授業で英語のやり取りをするし、なにより友達がいる。ワーホリって友達作りに苦労するのよねえ。

 

 

でも自分からいろんなところに頭を突っ込めば、英語は想像以上に話せるようになる。語学学校やシェアルームで仲良くなった他国籍の友達と出かけたり、ソーシャルイベントに参加したり、ローカルのお店で働いたり。恋をしたり?。

「めっちゃいろんなとこ顔出してんなあ、」って人はだいたい英語うまかった。

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というわけで、英語に関しては非常にグレーだと言わざるを得ない。伸びる人は半端なく伸びるよ。ということにしておきます。

実際、日本でもコツコツ勉強すれば英語は話せるようになると思う。だから、「英語がうまくなりたい。」だけが理由なら、そこらへんの外国人を捕まえたり、近所の英会話に通ったほうが全然お得な気がする。

 

 

それでも、街で買い物をしたり、家や仕事を探したり、レストランでお客さんと話したり、カフェで店員さんとくっちゃべったり、はたまた意中の相手をデートに誘ったり。と日常の出来事がすべて英語で繰り広げられるのは日本では絶対に味わうことのできない経験であろう。

 

期限付きとはいえ「外国で暮らす」ことのできるワーキングホリデーは行かないともったいないなとさえ思う。特に、働き始めると「ちょっとワーホリに。」なんてそうそうできないから、学生のうちが一番いいタイミングじゃないのかな。

 

また、後述するのだけれど、こっちで出会う日本人ってちょっと変わっていて面白い人が多いから、日本人で固まるってのは悪いことばかりではない。

 

 

僕の目標:100人、日本人のオトナと話す。

海外で暮らすことの大きな魅力は「異国の人と出会うこと」だ。

日本とは違った文化、習慣をもつ人と出会い、話し、交流することは、海外生活きっての楽しみといっても過言ではない。特にワーホリのメッカであるオーストラリアやカナダは世界に轟く多文化他民族国家だから、「国際交流したい!!」って思いでワーホリに来ている人がほとんどだと思う。定番の表現で言ったら、「様々な価値観に触れ、自分の視野を広げたい!!」ってやつ。

 

でも、僕は逆にたくさんの日本人と出会いたかった。

 

理由は、自分が大学三年という就活目前という時期に立たされているということもあってか、いろんな人生の選択肢を知っておきたかったからである。

日本だと、大学、バイト先、サークル、インターンではだいたい同じ興味や専門を持つ人が集まりやすい。むしろそれがサークルを楽しくしてくれるわけだし、インターンで切磋琢磨する原動力になるわけだが、一度、そういう世界からぴょんと飛び出してみたかった。

 

同じ日本人でも、今までの自分とは全く別の世界にいた人と会ってみたかったのだ。しかも日本よりも海外のほうが、世代も職業も違う日本人に会える確率が高い。

 

僕はこの1年間で(100人いったかわからないけれども、)本当にたくさんの日本人に会えた。

30歳バツ2、キャバクラのお姉様(意外と多くて驚いた)、80か国以上回ってきたバックパッカー、さすらい美容師、妻子持ち40歳で初留学など個性的な面々や、縁があって若手起業家からオフィスでお話を聞かせて頂いたりもした。

 

日系企業の駐在員さんたちが集まるソフトボールチームにもいれてもらって、毎回飯とお酒をおごってもらった。 駐在員としてシドニー来て、週末ソフトボールしてキャバクラいっている大人たちはすごく幸せそうだった。あと彼らの下ネタはえげつなかった。

 

いま働いている一風堂では、時折オーストラリアの統括マネージャーや幹部さんたちと飲みに行く機会がある。出張ベースでニューヨークやシンガポールを毎月飛び回っているなんて話は、よだれが出るほどうらやましかった。

 

 

たくさんのオトナたちの失敗談もこれからの野望も、本当にしょうもない下ネタも、「あーこんな人生もあるんだなあ。」って知るのはすごくためになる。

 

就活就活!!とにかく一流企業!と周りに流されて血眼になっていた1年前。こっちに来て、人に会って、こういう人生もあるんだ。と知ることができる時間はいまの僕にすごく必要だった。

 

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 本当にお世話になりました。

 

自分探しならぬ、自分づくり。

個人的にワーホリで一番頭を使うのが時間の使い方

一年ぼーっとしていても、汗水流して働いていても同じ一年。

しかも僕みたいに学生でワーホリしている身ともなれば、時間が来ればいずれ帰らなければならない。じゃあ、この限られた時間をどう使えば『実りのある』一年になるのか。

 

これが思っていたより難しい。

「なに、何をすれば『良い』んだ。自分の人生にとってプラスになるんだろう...。ろう...。」

なんて馬鹿真面目に考えれば考えるほど疑問は哲学的になってくるようで、一種の幸福論で頭の中がいっぱいになった。

 

でもそんな「自分を成長させるために!!」「就活にむけて!!」とかいちいち考えても疲れちゃうから、とにかく、日本でできなかった新しいことに挑戦してみよう。ということにした。

 

今思うと日本にいると自由な時間ってあるようで意外になかったなと思う。友達、サークル、バイト、大学、で手帳でいつも手帳が氾濫していて、なにか新しいことを始める機会が全然なかった。(というか、そう自分がしていたのだけれど。)

 

 

こっちでの生活は逆に時間しかない。友達はいないし(泣)、勉強もしていないし。そこで思いつくもの、ふと目に留まったものを片っ端からトライしてみることにした。

 

近所にジムを発見すれば週3で通い、公園でヨガをしている団体を見つけたら毎週参加させてもらい、Netflixに契約して映画を100作以上観たり、こういう中途半端な粗ブログをはじめ、写真の編集をかじってみたりもした。

自然豊かなオーストラリアならではのサーフィンに挑戦したり、ブッシュウォークに出かけたり、趣味増やしちゃおうぜキャンペーンをやってみた。

 

「趣味が多くて、人生を楽しんでいる男はモテる。」という雑誌の記事を見てからその熱はさらに高まった気がする。Bucket Listなんかも作ってみた。

 

オーストラリアにいる間に趣味はかなり増えて、またやりたいことリストもたまりまくった。おかげさまで全くモテることはなかったけど。

 

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たかが1年だけど、されどの1年でもある。ワーホリは30まで行けるから、それぞれの年齢によってそれにかける思いは違う。本気で海外で生きていこうとしている人もいるし、出稼ぎにきているだけの人もいる。僕は学生の立場からこの1年を経験して、違う立場の人の話をいっぱい聞いて、背伸びして手を伸ばしてイソギンチャクみたいに触れるものすべてを吸収した時間だった。(たとえが下手すぎる。)

 

日本に帰って、僕の見た目は全然変わらないだろうけれど(ちょっと太った)、僕の目に見える世界は前とすこし変わっている(といいな)と思う。

 

就活が悪く言われる近頃だから、あえていいところを考えた。

一斉にスーツを着て、気持ち悪い。国葬みたい。

なんでみんな同じ髪型、同じ服にする必要があるのかわからない。

新卒一括採用なんてなんだよwwwおかしくねえか。

海外はみんな通年採用で、転職転職して成り上がっていくのに。

 

 

はい、何についてか想像つきますね?

 

 

 

お察しの通り、日本の就活(就職活動)に対しての不満たちです。

毎日汗をかきかき、足を棒のようにして歩き回る就活。

海外の就活(海外にはそもそも就活なんてないのだけれど。)と比べたり、日本の過酷な就職競争に嫌気がさして、ついこぼれる愚痴。「日本っておかしくねえか?」

 

ちょっとネットで調べると日本の就活オワコンww系の記事がごまんと見つけられます。よっぽど就活ってストレスがたまるんでしょうねえ。(完全に他人事)

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YOUTUBEには、就職活動のリアルをアニメーションにしたものまで。

youtu.be

 

 

 

そんな僕も今年の秋から就活に参戦することになるわけでして。

個人的には就活に対して良い感情も悪い感情もなく、そりゃ他と比べればなんでも悪いところは見つかるでしょうよ。まあそれでもグダグダいいながら結局大半の学生が就活の波に飲み込まれていくんだろうな、って感じです。

 

しかしせっかくやるんだから愚痴を垂らしながらやるよりも楽しみたいじゃない。といういささかかっこいい(と自分で思っている)理由で、日本で就活をするいいところを考えてみることにしました。

 

 

 

新卒一括採用は悪いことばかりじゃない。

まず、『世界にも類を見ない日本独特の雇用慣行』(wikipediaよりhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/新卒一括採用)とも称される日本の一括採用。現在の就活の基本的なこのカタチが、ネットで最も批判を浴びている部分なのであります。

欧米諸国と勝手に比べて、「海外では自分で経験を積んでのし上がっていくのに...!」とおもわず考えてしまうであろうこの形態。

 

 

確かに、欧米の会社では個人のスキルが重視され、「じゃあ、君は何ができるの?」から始まる世界。即、戦力になって働けることが条件のため、学生は大学在学中や卒業後にインターンで経験を積んでから社会に足を踏み入れていくのが一般的。

 

大企業やより高いポジションほどこのスキルの高さが求められるからこそ、欧米圏では経験を重ねながら転職によって高み高みを目指していくことが美徳であるわけです。

 

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一方、日本では就活の際に社会経験の熟達度や特別なスキルはほとんど重要視されず(そもそも相手は大学生なのだから。)、会社は一から人材を育てるのが慣例となっています。スキルも経験も0に等しい、生まれたてホヤホヤの新社会人を立派なビジネスマンに育てることも会社がサポートしてくれるということです。

 

 

個人的にこの考え方はすごく好きで、海外では入社時に求められるだろうスキルを、日本では0から2、3年かけて会社で働きながら学ぶことができるのは、おそらく日本特有なんじゃないかと...。

 

しかも日本では大企業さえ例外なく毎年多くの社会未経験者を採用して、研修制度で社会人としての素養とスキルを養っている。個人的に、将来起業したくても、ずっと海外を放浪していたくても、数年日本の会社で大人の基礎を学ぶことは十分に価値があると思います。

 

www.huffingtonpost.jp

こんなブログよりもっとわかりやすくて、プロフェッショナルな記事を貼っつけときます。(笑)

 

 

大学は好きなことを好きなだけ勉強していい。

外国人と話していると、海外には大学の専攻学問=将来という図式があるんだな。とよく思わされます。What's your major?(何を勉強しているの?)と聞かれInternational Relations(国際関係論)と答えると、Non Profitsに興味があるの?とか、国際機関で働きたいの?とほぼ100パーセント返されます。

 

ドイツやアメリカが有名ですが、海外では専攻が基本的に重要視されます。どんな知識、スキルがあるか、そのフィールドにどれだけ精通しているか。まさに即戦力を求める上で欠かせない条件の一つともいえるんでしょうね。

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日本ではどちらかというと専攻より学歴重視の傾向が強く(理系はちょっと違うけど。)、何を勉強していたかはあまり問われないのが実情だと聞きます。日本の会社ではみんな結局0からスタートするので、大学四年間何を勉強していようが就活には特に影響しない場合が多いからでしょう。(もちろん知識として法学やビジネス教養を知っているに越したことはないけれど。)

 

アメリカ出身のお笑い芸人厚切りジェイソンは、日本の就活に対してこんなコメントをしています。

https://mobile.twitter.com/atsugirijason/status/657416260863578112?ref_src=twsrc^tfw&ref_url=http://gyaku-shu.com/weird_job_h/

多くの日本企業の新卒の扱い方が下手くそ。大学で4年も勉強した専門知識と経験を全部捨てって一からやり直させ、適当に仕事を割れ当てる。更にそういうやり方だからあまり価値が搾れ出せないので、低い給料しか払わない。お互いに不幸ダロウ。日本企業に勤める人は大学に行く意味はなんだったっけ?

 

僕は、これがまさにアメリカから見た日本だろうと思いましたね。

アメリカでは、大学は将来のための専門を極める場としての色彩が強いと言えそうです。

逆に日本では、言ってしまえば、大学で身に付けた知識なんて就職になんの役にも立たないように見える。僕なんか大学で好きな文化人類学や宗教学、アジア研究を勉強してきたけれど、面接で仏教について熱く語って、「なるほどなるほど~。」なんてうなずいてくれる仏な面接官がいるとは思えません。

 

 

厚切りジェイソンの主張が正しいのかどうかは置いておいて、しかし、今日はここからいいところを見つける日。さて...。

 

 

何を勉強しても会社に入ればみんな同じってことは、つまり、自分の好きなこ好きなだけ勉強してもいいってこと!じゃないかな?

 

将来総合商社に入りたかったとしても、いま貧困や格差問題にどれほど真剣に勉強してもなんら害はないわけで。将来食品メーカーに行きたくても、キリスト教の凄惨な歴史に熱中していいのだ。4年間好きなことを勉強して、そして会社に入ったら、またその時必要な知識を身に付ければいいんです。

 

これはすっごい朗報でございます。ゼミの課題をやりながら、「あーこれ、俺の将来に関係あんのかな~。」なんて悩む必要は無くなります。そもそも将来に関係しなくてもいいんです。(もちろん関係しているのならそれは素晴らしいことですよ☺)しかし、いま自分がやっていて楽しいならそれで120パーセントベーリーグッドなんです。

 

これで心置きなくコーランの勉強ができる~!はーと

 

 

 

 

どうでしょう。

もちろん比較されれば悪いところが見えるのも当然。しかも欧米リスペクトの日本人からしたらどうしても『日本的な』就活制度に茶々入れたくもなるわけです。

しかし毎日むすっとした顔で就活していても疲れるだけ。考えかたをちょっと変えて、気持ちが少し上向けば就活も楽しくなってくる?

 

実際に先に就活を始めた同期のなかには、「就活でこんなに自分について考えたこと無かった。就活って楽しい。」って言っている人もいるので、本当感じ方は人それぞれなんでしょう。

 

でも、これを見て「日本の就活って良いところもあんじゃん!」って気づきになれば本望です。みんな、頑張ろうね。